(改)JOJIのことみんな知ってくれ!

JOJIを日本に布教するための雑記だったのが、個人的な音楽のことも書きます

ロングインタビュー「The Joker: Joji 」

今回は2019年のロングインタビューを和訳しました。

The Joker: Joji 

https://notion.online/the-joker-joji/

 

(以下、和訳)

 

Jojiは、デビューアルバムのBallads 1によってYouTubeの悪名を、ビルボードチャートの征服でスターダムに変えたバラード歌手である。

2つの理由により世界中で知られている彼は、3つ目の理由で人々に記憶されたいと願う。

 

私はこの1,625人収容のロンドンのHeavenという会場にいる。会場は悲鳴で満たされ、耳をつんざく金切り声が私の周りから聞こえてくる。ダンガリーズボンに古着のUmbroを着た学生は落ち着きなく独り言を繰り返している。キラキラしたトップを着た騒がしいの女の子の集団がいるかと思えば、Kappaのトラックスーツを着たドラッグディーラーのようなファッションの男の子の集団もいる。チェーンで覆われた服を着た、髪を青く染めたビジュアル系の集団はなんと呼べば良いのか。カットオフされたブラックデニムを履いたゴス系もいる。バッジが付いたビーニーを被り、チェックシャツを着て、あごひげをたくわえた凄腕のセキュリティのブロックに、「LOVE」といった言葉が書かれたTシャツを着たブレイズヘアの白人の女の子が浮かれているかと思えば、頭からつま先までクリスマスライトで着飾った女性が1人で立ち尽くしている。

 

このショーの開演の3時間前から順番待ちのために並んでいた彼らは中にいて、まさにショーが始まろうとしていて、中にいる皆が叫んでいる。会場にいる誰もが叫んでいるのだ。バッジが付いたビーニーにチェックシャツを着た、あごひげを生やした凄腕のセキュリティのブロックを除いて、彼らはただ身体を揺らしているだけだが、彼らのあり得ないほどのその表情から、内に秘めた狂気を感じた。数多あるロンドンのショーの中でこれほど多様で、これほどに活き活きとした観客を私は目にしたことがない。私があまりショーに行っていないのもあるだろう。最近は誰もが好きなファッションを楽しむし、いろんな音楽を聞いているというのもある。ただ、おそらく少なくともこの瞬間は、ステージにいるJojiという名の男の計り知れない魅力によるものだろう。


Jojiは世間を震撼させた新人のアーティストである。デビューアルバム、Ballads 1は、ビルボードチャート3位を記録し(ビルボードのR&B /ヒップホップアルバムチャートでは1位となった)、シングル曲である”Slow Dancing In The Dark”はSpotifyで9100万回再生を記録した。再生回数だけを考えると、カニエウェストの8枚目となる最新アルバムのリード曲である”Yikes” の再生回数より、1千万回少ないだけである。


Ballads 1における彼の音楽の本質的な美しさはともかく、一般的にその音楽性は親しみやすいものであるとは言えない。事実、Jojiは魅惑的な雰囲気を纏ったザラザラとした音の、ムーディーで陶酔的なローファイビートを作り出す21世紀が生んだベッドルーム発のプロデューサーである。彼は音楽を作るだけでなく、自ら歌うのだ。切なく不明瞭なその歌声で、メランコリックな性にまつわる心情を歌詞に乗せて歌うのだ。「君の舌は僕とのキスの味をまだ覚えているのだろうか」といった性的な表現は水面で浮き沈みするアヒルのおもちゃかのごとくの我々の心を揺さぶる。また、どの曲も室温で蒸発してしまいそうなほどの湿っぽい脆さがある。そしてピアノのアレンジは、彼がつま先で鍵盤を弾いているのか、あるいはただ鍵盤を軽やかに弾いているのではと想像できるほどに、そのアレンジはとても穏やかなものである。

Jojiが1988年ではなく1998年生まれだったとしたら、James Blakeはどのように響いただろうかと私は想像したりする。


過去18か月に発表された彼のハイコンセプトなミュージックビデオを見ると、洗礼されたフィルム・ノワール(虚無的・悲観的・退廃的な犯罪映画)の登場人物に見受けられる、Jojiの美学が貫かれている事がわかるだろう。彼はいつも無表情で、ザナックス(抗不安薬)で霞んだ意識の中から話しかけるように、彼の口はぼんやりと動き、目に見えないどこかをじっと見つめている。彼のミュージックビデオでは、肉体的に傷つけられたり怪我をしたりすることが多く、初めて歩く子鹿のように歩く。”Test Drive”では、彼は空から鎖でぶら下げられ、両腕は拘束衣で縛られている。”Slow Dancing In The Dark”では、白いタキシードジャケットは血で染められ、雨で濡れたタバコを構うことなく吸い続けるのだ。

 

Heavenでのショーの2日前に、私はロンドンのパブでJoji(本名:George Miller)に会った。テーブルはほとんど空いていなかったので、その火の中にいるのか、もしくはその火で焼かれるのではないかというほど暖炉に近く、誰も座ろうとしなかった席に我々は座った。パブはグレタナ行きの蒸気機関車なのではないかと思うほどにパチパチと地獄のごとく燃えさかる暖炉に、バーの店員がやってきて石炭と薪を放り込むのを見て彼はおっと、と反応した。

Jojiは水を注文し、パーカーを脱いだ。彼は(シリアルの)Lucky Charmの緑色のTシャツをその下に着ていた。

「もうお酒を飲まないから、普段はパブにあまり行かないんだよ。」と彼は言い、「カフェインもあまり摂らないようにしているんだ。」と付け加えた。

 

Millerの視覚的な想像力は非常に活発なものであり、「時々、それは強く、視覚的に訴えるんだ。」と彼は言った。「なぜなら、何か怖い感情はさらに鮮明に訴えかけてくる。それが僕の音楽の多くに刺激を与えているものでもあるんだ。でも、大半は落ち着かなくさせるだけのものだから、それにあまり意識を向けないようにしているんだ。」

 

「なんで?」と私は聞いた。

 

「なんでかというと、そうしないとおかしなことになるんだよ。」とMillerは言った。

 

彼は曲を書く時、ミュージックビデオのワンシーンとなる映像がすぐに思い浮かぶのだという。実際に、彼がインストゥルメンタルを書いている時に映像が想起されなければ、彼は曲を書くのを取りやめて最初からやり直すのだという。”Yeah Right”を作ったとき、彼は不機嫌な感情を抱いていたが、同時に不思議と興奮していたという。「僕はその感情をインストゥルメンタルに取り入れて、そしてすぐに映像が思い浮かんだんだ。」と彼は言った、「気を配ることにうんざりしてしまった誰かの上で、女の子たちがお尻を振ってるんだよ。切なく輝くミラーボールの下でね。その全てが僕には見えたんだ。」

 

私たちの後ろのテーブルに座る、髭をたくわえた赤髪のドレッドヘアにタトゥーの男はMillerのボディーガードである。元世界ヘビー級王者であるタイソン・フューリーや、ニューメタルのゴッドファーザーであるフレッド・ダーストのセキュリティも務めたという。彼のジャケットに「Limp Bizkit Crew 2016」とあるのはそういうことである。私は今まで用心棒のようなボディガードが隣のテーブルに座って警護につくような人にインタビューしたことが無い。そして、George Millerのように、非常に多くの異なる理由で、これほどまでに有名な人にインタビューしたことも無い。

 

Millerは日本人の母親とオーストラリア人の父親の間に、日本の関西地方で生まれた。

彼の最も古い記憶は、うなぎが水の中で踊っているのを湖のそばの桟橋で見ていて、水の中に落ち溺れかけた記憶である。

彼の子供時代は穏やかなものだった。彼は魚や虫を捕まえに遊びに出かけ、主にセミを捕まえたり、ある時は近くの山々を探検して大きなカマキリを捕まえたりしていた。学校ではいたずら好きな少年で、「誰かが黒板にペニスの絵を描いたら、誰もが僕の方を見るんだよ。」と彼は言った。放課後は、チャーリーブラウンやガーフィールドといった古いアメリカの漫画の再放送を時々、見ていたという。「(飼い主のジョンに対して)よくやったよ、ジョン!」、「いい調子だよ、ジョン!」って、あの猫はクソッタレだよ。

そう言いながらも、Millerはガーフィールドが好きだったという。

 

友人の兄から初めて借りたレコードはニューメタルのバンドであるLimp BizkitKornで、それは彼にとってBoomBapと2000年代初頭のラップブームへの入り口となった。その後、6年生の時にリルウェインの”A Milli”を聴いた時、「そのビートは革新的だと思ったんだ。家に帰ってGarageBandを立ち上げて、ビートを作り直して、それに乗せて友達たちとラップをしたんだ。で、みんなこういう反応だったんだ。これ、どうやって作ったんだよ?って。僕は今でもGarageBandを使ってるんだよ。」


日本では、Millerはオーストラリア人としての側面で白人として扱われていた。「やあ白人、白人、調子どうよ?」と彼のクラスメートは彼に言った。彼が18歳でアメリカに引っ越したとき、それは「アジア人、調子どうよ?」に変わったのである。「そうだなあ、僕はそれらのどれでも無いんだよ」とMillerは私に言った。「僕は自分がぴったりと当てはまらない、変な立場にずっといたんだよ。友達が”ふるさと”や”昔の馴染みの場所”に帰るのが待ちきれないと言っているのを聞いて、そういう場所が僕には存在しないと思ったんだ。」

 

2013年に世界的に広まり、バスケットボールチームのマイアミ・ヒートからWWEのレスラー達まで、誰もが興じたインターネットミームであるハーレムシェイクを誰もが知っている。元となる曲が「カンナムスタイル」の再生回数をすぐに超え、10億回も視聴されたことは知られているだろうか?

Millerこそがそれを始めた張本人である。当時、彼は19歳でニューヨークに学生として住んでいて、バウアーによる「ハーレムシェイク」に合わせて踊る彼と友人の動画を、12歳のときに始めたYouTubeチャンネルであるDizastaMusicにアップロードした事が始まりである。それはオンライン上で瞬く間にトレンドとなり、3日後には世界的な現象となった。

 

彼にはこういった特技もあるのだ。彼が6年間(2011年、19歳の時に始めたものである)続けたウェブショーである「The Filthy Frank Show」により、YouTubeの世界でMillerは悪名高き存在でもあり、レジェンドでもある。ショーは、主人公のFilthy Frank(Millerによって演じられた)を中心に話が繰り広げられる。Frankはしゃがれた声で話し、安っぽい(よくシミがついている)ブルーの襟付きのシャツを着た、差別主義で、女性嫌悪、同性愛者嫌悪であり、歪んだ人格の暴力的で悲劇的なキャラクターである。The Filthy Frank Showでは寸劇や、馬鹿騒ぎや、公共の場でのいたずらが繰り広げられた。それは、Jackassや、Rotten.com、Ren&Stimpyをハイブリッドに織り交ぜ、自作した動画のようであった。Frankはvloggerアンチであり、その「アイデア」はたくさんの人の反感を買うものであった。

それは彼のレゾンデートル(自身が信じる生きる理由、存在理由)によく表れている。

「僕たちにはもっと同等な、均等な偏見が必要なんだよ。誰もがみんな、怒るようなね。」

 

彼のファンベースは数百万人に成長し、彼を面白いと思う視聴者や、目をそらしたくなるほど不愉快だと思う視聴者や、インターネット世代における真のパフォーマンスアートだと感じた視聴者で一杯となった。新しいキャラクターが追加され(主にMillerや友人が演じている)、Frankを中心に構築された神話は、Filthy Frankオムニバースとして知られている。YouTubeが規制を厳しくし、ディズニー風の環境にしようとしていたその時、Frankは吐瀉物で焼いたケーキを食べたり、死んだネズミを調理したり、世界中のおおよその国民性や民族性を侮辱する動画で、何百万もの再生回数を得ていた。”100 ACCURATE LIFE HACKS”というタイトルの動画では、ショットガンを自らの口に打ち込み自殺を試みようとする事がFrankの最終的なライフハックのようであった。

YouTubeにおいて影響力があるコメンテーターであり、パーソナリティーであるEthan KleinはFrankのことをこれまでで最高のYouTuberであると称している。

 


YouTubeチャンネルの概要欄で、Millerは番組について「不愉快な意見をシェアしたり、たくさんの人の反感を買う内容について冗談を言う」だけで、いとも簡単にオンライン上でフォロワーを得る事ができることを暴いているものだと述べている。アメリカで最も成功したTVショーであるThe Colbert Report(Stephen Colbert が演じた傲慢な右翼のコメンテーター)と同様に、Filthy Frankショーのアイデアは、作成者の考えとは全く正反対の視点を支持することであり、「人がすべきではないことの全てを具現化する」というものであった。


しかし、The Colbert Report(2009年にオハイオ州立大学が行った調査によると、ほとんどの保守派がColbertは風刺ではないと信じ、実際に彼は右翼だという見方をしていることがわかっている)と同様に、彼の過激性に共感するFilthy Frankのファンは少なからずいた。 Millerは2015年にAnthony FantanoのThe Needle Dropポッドキャストでのインタビューでこのことに触れている。Frankが白人をターゲットにするまでは、ただ一部のファンを除いて彼らはFrankの全てを許容し、愛しているようであった。

「白人をネタにしたんだよ、クソ田舎者の白人が女兄弟とヤってるみたいな、そういうネタを投稿してすぐに、彼らは理性を失って、かなりパッシブ・アグレッシブ(Passive Aggressive:はっきりと否定したりせず、不機嫌な様子で間接的に人を攻撃する)なコメントを書き込み始めたのを覚えているよ。」


彼のショーにおいて最も愛されたキャラクターの一人はPink Guyであった。ピンクの全身タイツを身にまとい、ラップをする時以外はいつも訳のわからないことを口にしている生き物であり、印象的なヒップホップのインストゥルメンタル(全てMillerがプロデュースしたものである)にラップを乗せることでしか心情を吐露できないのである。振り返ってみると、それはミュージシャンになりたいといつも願っていた、Millerの本来の姿のようであった。その時の彼は、全身タイツを着て、インターネット上のジョークについて皮肉ることでしかそれを成し遂げられないと感じていたのだ。

 

「僕はいつも普通の音楽を作りたかったんだ。自分の音楽をあげるためにYouTubeのチャネルを始めたようなものなんだよ。」と2017年1月のPigeons&PlanesでのインタビューでMillerは語っている。「でも、最終的にFilthy FrankやPink Guyのようなものが自分が想像していたよりもウケてしまって、その役を演じなければならなくなったんだ。」

 


2017年1月にPink Guyがリリースしたアルバムである”Pink Season”(“Rice Balls”、 “Please Stop Calling Me Gay” や “I Will Get a Vasectomy”といった曲を収録した)はラ・ラ・ランドサウンドトラックを抑え、iTunesチャートの2位にランクインした。Millerが2017年9月に出版した、Pink GuyやFilthy Frankオムニバースの全ての登場人物について書かれた本である”Francis of the Filth”はUSA Todayのベストセラーリストで47位にランクインした。


しかし、その同じ月に、彼はFilthy FrankのYouTubeチャンネルへの投稿をやめ、それに関連するソーシャルメディアもやめたのである。彼の人生におけるこの時代(Filthy Frank時代)から彼は距離を置こうとしたのである。私がパブでのインタビュー時にその話題に触れると、彼は驚きを表さないにせよ、ぎこちない様子を見せた。

「それは(Filthy Frankの話題は)あなたのインタビューでたくさん出てくる話題ではないでしょうか?」私は聞いた。

 

Miller:「そのことに関してなぜ聞きたいのかはわかるんだ。それがあってこそ、全ての事が素晴らしいものとなったんだ。かつて、ああだった奴が、今はこんな奴だって?比べるなんてクソ馬鹿げてるよ。それは、全く異なる2つのものだからさ。」と彼は言った。

 

「過去を振り返って、そのことについてどのように感じていますか?」

 


Miller:「後悔など何もないよ。ただ、ちょうどそういう時だったんだよ。今は、別物だよ。物事は違う方向に今は動いているんだ。まったく別の方向に進んでいるんだよ。」

 

Filthy Frankがファンに別れを告げたツイッターでの投稿では、「もうこのコンテンツを制作することに楽しみを見出せない。」と彼は述べ、神経系の疾患や喉へのダメージといった、深刻な健康上の問題を告白した。頭が包帯で巻かれ、センサーがつけられた彼がベッドに横たわる病院での写真が出回った。私がその症状の詳細について尋ねると、彼はそれについてあまり語ろうとしなかった。それはストレスによって引き起こされる発作で、毎日の投薬が必要であるということー長い期間において彼が一人でいられないことを意味していることを、私は他のインタビューから知ったのである。


「それが人生の転機のように思えるのですが。」と私が言うと、

 

「それが唯一、かつ最大の転機だったよ。」とMillerは言った。「その後すぐさまに、僕の全てのメンテリティが変わったんだ。ソーシャルメディアに触れるのをやめた。自分が関心があることだけに関心を向けるようにしたんだ。人生は短いからね。元々、動物が嫌いだったんだけど、いや、嫌いじゃないな、好きだったんだーどうであれ、動物に夢中になったんだよ。猫や犬と遊び始めたら、もっと自分が幸せになったんだ。体調が悪くなって、自分の周りのことに感謝するようになったんだ。いろんな側面において、僕は優しく、より理解のある人間になったんだ。こんなことはあまり言いたくないんだけど、【神経系の症状】はある意味で神からの贈り物となったんだよ。今の生き方が僕は好きなんだ。」

 

今、彼はFrankでもなく、Pink Guyでもなく、Salamander Manでもなく、ミュージシャンのJojiとして生きている。人気が急上昇しているレコードレーベルであり、マネジメントチームとしても知られる集団である、88Rising(Rich Brainが所属している)と彼は契約し、Clams Casino、Ryan Hemsworth、Shlohmoといった、彼がティーンの頃に一緒に仕事をすることを夢見たアーティストとコラボレーションしたデビューアルバムとなるBallads 1をリリースした。Jojiのプロジェクトのほぼすべての面において、作詞作曲から、ビデオ制作の編集や監督、さらにはアルバムのアートワークに至るまで、彼自身が主に関わっている。それでもなお、Frankの亡霊がまだそこに潜んでいると探し求めるのであるー事実、彼のYouTube上のミュージックビデオのコメント欄を見てみると、最も人気が高い10のうちの7つのミュージックビデオにおいて、ファンはFilthy Frankにまつわるコメントをしている。


「多くのFrankのファンは彼が去ってしまったことを嘆いているように見えます。」と私が言うと、

 

「そうだと思うよ。」と彼は言った。 「たくさんの人の人生において、大きな部分を占めていたと思う。僕も寂しいよ、そうだね、いろんな意味でね。でも、時は流れるんだよ。僕たちは前に行進していく時間の、永遠の犠牲者なんだよ。それから逃れることはできないんだ。」

 

Heavenでのライブが終わりに近づくと、Jojiは彼の最大のヒット作である”Slow Dancing in the Dark”を最後の曲として選んだ。それはロマンティックな、別世界の歌で、完璧なバラードの再発明を試みる彼の望みに最も近い曲であろう。ミュージックビデオが彼の背後のスクリーンに映し出され、赤いネオンのステージライトがそのビートに合わせてゆっくりと点滅する。そしてコーラスに近づくにつれて、会場一面は観客の上げられた拳とiPhoneで覆われた。

“In the-“とJojiが歌うと、観客は”DAAAAAARK!”と叫んだ。

 

曲が終わり、ショーが終わり、ライトがつき、人々は会場から去り始めた。私は、最も熱狂的なファンがいる最前列を、バラと手紙をJojiに渡してもらうようスタッフに懇願するティーンの女の子達を眺めながらうろついた。誰もいなくなったダンスフロアで20代前半の酔っ払った男の子が、友達でも探しているのだろうか、足元に無残に捨てられたプラスチックコップの山をよろめきながら蹴る。

その彼は全身タイツを纏っていた。

Pink Guyのように。

 

(終)